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「あまり」が大切にしていること
暮らす力を、生きる力に
私たちが古民家を活動拠点に選んだのは、そこに生きる力を養うためのヒントが詰まっているような気がしたから。
実際に自分たちの手で解体しながら建築の知恵や工夫を目にしたり、畑で作物を育てながら自然の力に驚き、食べ物の有り難みに思いを巡らせたり。子どもたちがそこらへんにあるもので遊び出すのを目にしてさえ、勇気を与えられるような、自分たちの中で眠っていた感覚が呼び覚まされるような。そんな体験がありとあらゆるところに転がっています。
まるで周辺の自然の一部として存在しているようなこの古民家では、きっと「暮らす」ことが直接「生きる」ことと繋がっているのだと思います。
自分の “余り” は、誰かのために
自分の感覚に素直に、無理な力を働かせることなく行える「仕事」があります。まるで親が子に、自分が知っている範囲で道具の使い方を教えてあげるように、わざわざ誰かのためにと考えずとも自然と振る舞った行為が、他人を喜ばせたり、何かの役に立っている。
魚釣りの得意な人が、初めての人に釣り方を教えてあげる。植物に詳しい人が、庭に咲く花の名前を教えてあげる。料理の好きな人が集まって献立を考え、手分けして皆の晩ごはんを作る。
自分を少しだけ「おすそわけ」するようなやり取りを交わしながら、それぞれが素直に関わり合っている。
「あまり」で過ごす時間が、そんな “何気ない貢献” でいっぱいになることを願っています。
“礼” ある大人の、やりたいように
「あまり」にはこれといってルールのようなものはありません。それだけでなく、「あまり」が提供するサービスのようなものもありません。例えばこの古民家へやって来て、「畑をやってみたい」と思ったら、やればいい。「ピザ窯をつくってみたい」と思ったら、つくればいい。
やりたい気持ちも、関わる人への思いやりも、自分の内側から表れてくるものだけで十分。誰かに目標や、期限や、条件を与えてもらわなくたって、まずは「わたし」と相談すればいい。
ただ少しだけ心に、余裕は持っていてほしい。余裕があれば、人にやさしくできるから。それが “礼” とかマナーってものになる。そして関わりが成り立っていれば、それでいい。
今、これからそんな風に生きられるんだって姿を、まずは大人が体現してみたいと思いませんか?